セーケのほぼ毎日コラム

オレ、そういうの大丈夫だから。

 6月14日に筑波サーキットでアイドラーズゲームス第2ラウンドを行った。緊急事態は解除されたとはいえ、新型コロナウイルス自体が収束したわけではない。そこでできる限りの手を尽くして開催となった。
 

 コロナとは肺炎を指し、SARSもMERSも同じくコロナとなる。この病気が厄介なのは、感染の基本が『呼吸』によるものだからだ。
 

 人間は呼吸をしなくては生きていけない。呼吸をするということは、新たな空気を肺の中に取り入れることと同時に、肺の中の空気を吐き出す行程のことだ。喋るということも同じで、肺からの空気圧力によって声帯を震わせて言葉を作り出している。
 

 この呼吸や喋るという工程において人の体の中にある多くの水分が飛沫となって外に放出される。まずいのは、この飛沫、つまり唾に乗ってウイルが大気解放されることだ。

 こうしたメカニズムを捉え、SNSなどでマスクの必要性を書き込ンダ際に、必ず「ウイルスはマスク程度の繊維の隙間を通してしまうから無意味だ」という反論がなされた。全くその通りなのだが、マスクで抑えるのは飛沫であり、結果としてウイルスの発散を防止することに意味が有る。海外の医師や国内の意識高い系の方が「日本の対応はなっていない」とロックダウンしていないことを責める書き込みもあったのだが、それ以前に個人的生活習慣そのものを見直さずにロックダウンをしても解決にはならないのだと思ったし、実際に世界は解決には至っていない。

 マスクをすることを拒む人もいる。まだ病気になっていないからだと言うのだが、ワクチンが無いときに病気にかかってしまったら、それこそ取り返しがつかない。この発想はまったく分からない。また、症状自体が出ていない人もいる。無自覚なキャリアだ。
 

 こうしたことを前提にアイドラーズでは、万が一のときのために行動履歴などの問診票を提出していただき、入場にあたっては非接触の体温計でチェック。さらに、定期的に手すりやピット、トイレの内外、水洗レバーなど人の手が触れるところに次亜塩素酸を振りかけていた。もちろん、マスク装着が義務であることや予備を用意していることをサイト、SNSやブリーフィングで伝えた。
 

 ちなみに、コロナ系ウイルス、つまり、肺炎系のウイルスはエタノール以外のアルコールではその殻を破ることができない。むしろアルコールとともに蒸発して大気解放され、人体に取り込まれる可能性が高くなってしまう。なにかスーッとするものを使えばいいと思うのは大間違いだ。エタノールや次亜塩素酸と同じように殻を破る効果があるのが界面活性剤だ。わかりやすく言えば石鹸だ。したがって、日常生活の基本を守っていればアクティブな防疫を行っているということになる。

 よくクシャミや咳をする際に手で口を押さえるのがエチケットだと思われがちだが、肝心なことは押さえた後。その手を洗わず、何かに触れば、手に付いた唾の飛沫をそこに付けていくことになることを忘れがちだ。
 

 これと同じことがカラオケでも見ることだできる。エタノールや次亜塩素酸での洗浄がなされていないマイクを洗っていない手で握りしめ歌う。つまり、唾をマイクに吐き続ける。これで感染しなかったなら幸運としか言いようが無い。こうした基本形は我々でも思いつくのに、すごく有名で大きな大学病院の医者がカラオケで感染したというニュースには笑ってしまうし情けない。一方でパチンコ店を厳しく糾弾していた医者がいたが、それを指摘するとムキになるのも面白い。人の量ということだけで見ればパチンコ店も病院も変わりは無いし、むしろ徹底した換気が義務付けられ無言で台に向かうパチンコ店の方が病院より安全なのかもしれないとSNSに書いてみると、ヒステリックな反論が返ってきた。その一節に「我々とパチンコ店を一緒にするのは失礼だ」というのがあった。下世話なパチンコ店と高尚な病院を一緒にされたのではプライドを傷つけてしまったようだ。このやり取りの後で、東京の医師会がパチンコ店の風評被害を広げてしまったと後悔陳謝したのには笑ったが、反発した医者からの発言はなかった。もちろん、食事もしないで頑張っている医者も多い。なので、医者を揶揄しているわけではない。むしろ、そうした医者が医者を貶めているのだと思う。

 6月14日の筑波サーキットでは何人かがなかなかマスクをしなかった。手や服、髪にも吹きかけるようにしていたのだが、ある人は「自分、そういうのはかからないんで大丈夫っす」と言ってきた。

 こうなるとブリーフィングの内容を理解していないことは明白で、ブリーフィングを行う身としては萎えてしまう。繰り返すと、自らが吐いた唾の飛沫を相手に届けないためのマスクなのだが、それすら自分は感染しないから大丈夫だと言うわけだ。まあ、そりゃあ、そうだろう。周りのみんながマスクをして飛沫防止をしているわけだから自分は助かっているわけだ。しかし、自分は誰かを助けているのだろうか。こういう自分主義の本質は優しくない。外国人の多くが緊急事態宣言がなされた後もマスクをしていなかった。これも自分が存在すること自体が相手を病気にしてしまうかもしれないという想像に至らないわけで、個人主義というより自己主義のようだ。この発想が根底にある限り世界は揉め続けるのだろうなあと思う。

 風邪をひく。マスクをする。これは誰のためなのだろう。自分の菌を咳やクシャミに乗せて人様に伝えないようにするためであり、かかってしまった自分にはあまり意味はない。この日常性すら思い浮かべることができないのなら、総じて馬鹿と評価してもいいと思う。