セーケのほぼ毎日コラム

首都高に物申す。

 1959年、名神高速開通の4年前に財界人23名が発起人となり東京高速道路株式会社(首都高速道路公団・首都高速道路株式会社とは別)を発足。銀座周辺の外堀、汐留川、京橋川を埋め立て、銀座1丁目から8丁目にかけて14棟のビルの屋上を高架道路でつないだ自動車道ができた。走行料は無料。店舗、オフィス、駐車場の賃料で建設費や修繕費を賄うという画期的なものだった。これが俗に会社線と呼ばれ、今も運営されている。

 これから遅れること3年。首都高速道路公団によって浜崎橋ー芝浦を皮切りに毎年延長され、オリンピックに合わせた1964年に羽田から浜崎橋までの首都高1号線、八重洲ー新橋、神田橋ー初台の4号線が開通した。その際の通行料金は一律150円だった。

 この料金は随時値上げされ、2002年の東京エリアで700円となったが、2012年から均一料金から距離別料金へと変わり、今に至っている。

 1987年、東京エリアの料金が600円に上った際にはかなりの反発があった。そのため、700円への値上げに際してはPRチームが結成され、その主任研究員を何を隠そう僕が務めてしまった。まあ、あまり反発もなく、プロジェクトとしては成功なのだが、個人的には複雑というか罪悪感を感じていた。

 このプロジェクト参加にあたり首都高を勉強したのだが、じつは首都高は無料になるはずだった。通行料によって建設費を回収し、それが終了した時点で無料にするというのが謳い文句だったのだ。もちろん、補修費用が必要になるのだが、無料にするとしたからには財源の見込みはあったはずだ。当時の運輸、建設、通産の高級官僚たちに抜かりがあるはずがない。それなのに値上げするという。値上げプロジェクトにおいて、整合性がとれないという議論がなされたのだが、公団側の説明は歯切れが悪いものだった。

 曰く「旧線と接続する新線が伸びており、その新線建設費用が必要なため物価に合わせてスライドするのは仕方がない。建設費を償却した後の線について補修費も発生するため、それらを通行料で賄う」と言うのだ。

 いやいや、それは話が違う。新線と旧線が接続するなら、その接続点にゲートを設け、新線のみに課金すべきなのではないのかと突っ込んでみたのだが、この回答は前述が繰り返されるだけだった。

 その後、法律が改正され、そもそも建設許可に向かった際の計画は消えてしまった。まあ、産業も経済も変わるのだし、発展のための大きな要素のひとつが輸送なのだから、そこは目をつぶってやってもいい。

 が、オリンピックにあたり、料金を増加させて高速道路への流入を防ぎ、選手や関係者の移動に支障がないようにするという考え方には賛成しかねる。

たしかに選手村からの移動にはスムーズさを確保したいのだが、まさか、移動のルートを考えずに、空き地や都合の良さげなところを選手村とし、移動については考えていなかったわけじゃないよね。いやいや、日本最大の企画集団である我が霞が関の官僚たちがそんなヘマをするはずがない。

 で、その解決策が1000円オントップ。通常の通行料+1000円の大枚を払うのを嫌がるはずだから流入も減少するはずだだと。おいおい、不確実性満載の計画って、つまりドジってんじゃん。

 こうなるとへそ曲がりの性格がうずき出す。1000円上乗せ上等。法定速度で1万台を走らせてやろうじゃねーかと。

 まあ、選手がかわいそうだからそこまではしないものの、必要性があるなら1000円オントップも厭わない。それは仕事上、仕方がないからだ。僕のような人が1万人いて、結果として渋滞緩和にならなかったとしても、ワシャ知らん。