セーケのほぼ毎日コラム

それでいいのか、ツタヤ。

 先日、THE 911 & PORSCHE MAGAZINEの入稿が終わり、久しぶりにシンデレラのような深夜12時の帰宅となった。が、コーヒーでも飲んで帰ろうということになり、某所のスターバックスに行くことになった。ツタヤの中にある店だ。

ここで嫌なものを見てしまった。まあ、ツタヤ+スターバックスではお馴染みの風景なのだが、徹夜続きの身と心には疲れを倍加させることに出くわしてしまった。お客さんが複数の雑誌や書籍を積み上げてコーヒーを飲みながら本をパラパラと眺めポイッと投げるのだ。

 僕が作るものに失敗がないわけじゃない。毎回反省ばかりだ。でも、その本の一冊一冊でご飯を食べている。それをポイされるのは悲しくなってしまう。

 本の流通は異常だ。どの書店が何冊仕入れてくれているのかを出版社は知らない。書店が取次(本の問屋)にオーダーする場合もあるが、ほとんどの場合は取次が決める。しかも委託となる。この時点で出版社の所有ではなく店の所有になるのだが、店は仕入れているわけではない。そして、一定の期間が過ぎると返本となる。が、返本日が決まっているわけではないから返ってこない場合もある。

 返本費用は、なぜか出版社が負担する。どこに納品したのかもわからないものが、どこの誰かからかも分からない返本がなされ、その経費を出版社が負担する。そうして入金がされるのは発行後7ヶ月してからだ。返本された本は再販できないような状態のものもある。そうしたものは古紙回収業者に引き取ってもらうしかなくなる。そこで、あのポイッの風景だ。

ポイッが繰り返されることで販売できない本になっていく。僕たちにとってはご飯のネタが一冊消えていくことになる。ある書店では、一定の会費を支払えばお茶を飲みながら本が読み放題だというサービスをしている。

 きみたち、ちょっと待ってくれ。それって、僕らに何のメリットがあるんだい? お金を支払って仕入れているなら、どう使おうが好きにすればいい。でも委託だよね。経理上の資産が誰の鋳物かということではなく、委託なんだから、人様のものを勝手に使って店のサービスを作っているんだよね。

 本が売れないと出版社は悩んでいる。売れなければ書店もやっていけない。ならば、見てもらいやすくしようと考えるのは安易ではないだろうか。出版社も印刷物ならではの切り口を進化させていない責任はある。が、仕入れたわけじゃない売り物をきみたちのためだけに使っていいのかな。

 以前、前述のツタヤから電話があった。

「お客さんがコーヒーをこぼしてしまって御社の本が全部ダメになりました。大至急交換してください」

 おいおい、寝言は寝床で言えよ。こぼしたお客さんも、普通なら弁償すると言うだろうが。それができないならスカしてコーヒー片手に本をめくってんじゃないよ。店もこっちのことも考えておくれ。で、僕たちはネット販売と直販にシフトしていく。それでいいのか?書を置く店は、それ自身が文化だぜ。社名にカルチャーと使おうが、それを否定しているのは自分たちだぜ。