セーケのほぼ毎日コラム

アイドラーズ、もうひとつの思い出。

12時間耐久ロストから抜け出せない。

終わったばかりなのに、すぐにでもやりたい気持ちがある。

そんな中で思い出したのが、去年の12耐だ。

あるチームオーナー兼チームリーダーが満を持して参戦した2017年。

しかし、惜しくも総合3位だった。

彼は残念だったけど、トップ3でチェッカーを受けることができてよかったと笑った。

年が変わった2018年。連絡がきた。今年は無理だなあと言う。

何を言ってんだい。また仲間と笑って思い出を増やそうぜ。と、僕が応えた。

そして、7月最後の日曜日、29日。彼と彼のチームがグリッドに並んだ。

しかし、結果はリタイヤだった。

それからしばらくして訃報が届いた。

彼が今年は無理だと言った理由がこれだった。

奥様によると亡くなられた後で工場を整理しようとドアを開けたら、

綺麗に掃除がなされ、ゴミひとつなく、

ヘルメットなども友人たちに引き取ってもらっていたとのことだった。

覚悟と簡単に言うが、掃除をしていた時の気持ちを思うと込み上げるものがある。

大した男だった。忘れない。

2012年。それまで目指せ30位以内だったアイドラーズのアラタメが総合3位に入った。

この年はアラタメの通常のドライバーに加え、ポルシェマガジンやアイドラーズマガジンで

執筆しているスタッフたちも参加した。その中に病み上がりの友人が開いた。

12耐、乗る?   いやー、ちょっと無理っす。まだ体力が戻っていないっすよ。

と、いうことで彼を除いたドライバーで作戦を立てていたある日。彼から電話がきた。

乗りたいっす。

結果はあの野田英樹氏を擁するアトランティック・エキシージがトップ。

アイドラーズ・アラタメは遅れること4周の3位だった。

真っ暗な表彰台でF1に参戦したとは思えないほど喜ぶ野田氏。

その横で満面の笑みを浮かべる友人。

その冬、彼が橋を渡った。

彼は分かっていたんだ。最後に思い出を作りに来たんだ。

忘れない。

2014年。東日本大震災を乗り越えた福島で整備工場を営む男が久しぶりに筑波サーキットに現れた。

震災の翌年、目眩がすると言って倒れた。それから2年。お客さんと一緒に登場した。

VWビートルのエンジン。ポルシェ356のエンジンについてたくさん教わった。

挨拶をしに行って驚いた。ハイエースのシートを全て倒して布団を敷いてある。

最後のお別れに来てくれたのだった。なんだよ、それ。忘れないよ。

アイドラーズクラブの前身であるノーザンライツ・スポーツカー・クラブの立ち上げから

付き合ってくれた年上の友人がいた。毎年、正月に彼の家に集まり、朝まで麻雀だ。

ある時、彼が入院した。癌だと噂が飛び交ったのだが、見舞いに行くといつもの感じ。

2000年、春。彼が愛車の1969年式911Sでエントリーしてきた。

よく見ると服がブカブカ。ベルトの穴がふたつも内側になったと笑っていた。

予選開始。ところが2周ほどでパドックに戻ってきた。

いやー、疲れちゃったよ。セーケちゃん、ごめん。帰って寝る。

しばらくして別の病院に再入院。その時のお医者さんが、いま、ポルシェで参戦している。

見舞いに行くと、目を動かすのだが、しゃべることができない。

そんなある日、訃報が飛び込んできた。

そうか、あの筑波は一緒に作ったアイドラーズを見に来てくれたんだ。

忘れないよ。

2008年9月。ミニの耐久チームのメンバーから電話があった。

アイドラーズマガジンに連載しているクラブマンの日常とサーキットの姿を掲載する

TOPsというコーナーにひとり推薦したいと言う。

撮影に向かった。新宿の東京医科大。カメラを抱えて病室へ。

そこに、いつもの笑顔で迎えてくれたエントラントがいた。

この撮影と取材はチーム仲間の計らいだ。レーシングスーツまで持ってきていた。

痩せた体を起こし、着替え、ふたりとも笑顔がはち切れていた。いい友情だね。

この写真をアイドラーズマガジン10号に掲載した。

また会いたかったね。忘れない。

2010年。切迫した声が電話から飛び込んできた。

アイドラーズに出ている◯◯の写真はないか。

その電話の主をアイドラーズに引っ張ってきた◯◯氏が亡くなったのだ。

アイドラーズで笑っている写真を遺影に使いたいと。

ちょうど事務所を出るタイミングだったのだが、写真をフル検索。

頭の中に浮かんだのは、表彰台でシャンパンファイトをする笑顔だった。

あった。すぐに送った。役に立ったのだろうか。

彼の意思は友人が引き継ぎ、いまも走っている。忘れない。

 

 

2014年2月。ポルシェとニッサンZのエンジンを教えてくれたエンジンビルダーが亡くなった。

何しに来たんだよ。教えることなんてねーよ。オレは特別なことなんてしてねーんだよ。

第一接近遭遇の挨拶がこれだった。

電話で取材内容を伝えてOKだって言うから来たんじゃん。特別かどうかが分かったら来ねーよ。

そりゃそうだな。で何が聞きたいんだ。

こうして取材が始まったのだが、写真を撮り始めると、やめろよと言って引っ込んでしまった。

しばらくすると戻ってきて、こっちのメガネにしてくれと言う。

このメガネはCSIってドラマで検視官が付けているやつと同じなんだ。

真ん中でパカッと分かれるんだぞ。笑っちゃった。

以来、時間さえあれば工場に出向き見せてもらった。GT3Rのエンジンなら組めるほど教わった。

ある冬。手を真っ白にして洗浄油で洗い、ネジのひとつひとつをブローしている。

水蒸気洗浄した後ザルにとってさっと油で洗ったんじゃダメなん?と聞くと、

油分は蒸発するがわずかでも水分が残ったらよくないに決まってんだろと言われた。

こういう仕事をするオッさんだった。

最後に見舞った時、目を覚まして見つめてきた。ゆっくり手を伸ばしてくる。

それを握って仕事集を出す約束じゃん。困るから早く退院してくれと言った。

口が悪いオッさん。しかし、通夜も告別式も満場の参列者だった。

ブルーチーズのピッツァを譲り合い、笑った。懐かしい。忘れないよ。

追伸>

2017年2月。アイドラーズ事務局を一身に担う島崎が骨折した。夜の撮影中の骨折だ。

それがエンジンビルダーのオッさんの命日だったんだ。

島崎とオッさんは仲が良くて、ベンチ室に入って撮影するのも許してた。

この治療のための事前チェックで、もっと大きな問題が発見された。

骨折が完治したのちに治療を開始し、こちらも事無きを得た。

まるで見かねたオッさんが微妙な場所を微妙に骨折させて、もっと大きな事を

気付かせたような気がする。